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2.告知〜出産

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お腹の中で生死を彷徨う

妊娠8ヶ月、管理入院中のエコー検査で胎児の頭蓋内で原因不明の脳出血を確認。

出血のレベルはⅢ(1〜4段階の中の3)、最悪お腹の中で亡くなる可能性があると告知されました。

診断名は「胎児期頭蓋内出血後水頭症」

脳室も明らかに拡大しており、重度の障害が残ることは嫌でも理解できました。

1ヶ月は予断を許さない状態で、MFICU(母体・胎児集中治療室)で毎日エコー検査を受けながら1ヶ月個室で過ごすことになりました。

病棟長はもちろん、主治医がいない場合は他のドクターが代わりに毎日エコーで状態チェックを受けました。

また、私のお腹の中にいる状態で胎児MRIを何度も行い、妊娠後期に入り仰向けが苦しい状態になった時のMR Iはとても大変でした。

脳出血後、心拍が高めだったそう君も徐々に落ち着きを取り戻し、病状も安定したということで産婦人科の一般病棟へ移動し出産まで個室で過ごすことになりました。

命の危機を脱する

よく出産後周りから聞かれたのが、なぜお腹の中で危ない状態になったのに帝王切開で出産とならなかったのか。

主治医や病院の方針で、脳出血が分かった時点でまだ妊娠30週だったため、すぐに出産となっても胎児が未熟な状態だったため、母体の安全を確保できるギリギリの状態までお腹の中で大きくなるまで育てて出産するのが良いと判断されたからです。

今振り返ると、この判断のおかげで臓器も強いですし、体調を崩しても比較的重症化しにくいので当時そう判断してくださった先生方には感謝しています。

予定帝王切開で出産

いよいよ帝王切開の日。

逆子ということもあり、予定帝王切開での出産となりました。

出血後水頭症と診断を受けていたため、出産後すぐ水頭症の手術が出来る隣県の大学病院へと搬送の手配も整った状態で手術室へと向かいました。

手術室へ入ると、予想よりはるかに多いお医者さんや看護師さんたちがずらりと並び、赤ちゃんの出産に備えてくださっていました。

産婦人科の先生や小児科の先生、麻酔科の先生、研修医の方もいらっしゃったのを覚えています。

いざ帝王切開が始まり、局所麻酔のため意識はしっかりしていて先生たちがパスタのお店の話をしながらリラックスした状態で手術が行われましたw大丈夫そう?と思いながら聞いていましたが、あまりにリラックスした雰囲気にこちらも肩の力が抜くことが出来ました。

そんな中、私は手術台の上にあるライトの板に手術の様子がチラリと映ると他のママたちから噂で聞いていたので、見ようとしましたが麻酔をかけた状態で頭は絶対に動かしたらダメだと言われていたため(頭を動かすと具合悪くなる方が多いらしく)見るのを断念。

手術中、先生方も私も誰も真面目じゃなくて笑える。

もうすぐ出てきますよ〜と担当の看護師さんが教えてくれて、ドキドキ。

出てきた瞬間「ギャーン」と大きな声で泣いてくれました。

そう君に生まれて初めて掛けた言葉

呼吸できるかどうかも分からないと言われていたのに、大きな声で泣いてくれて涙が止まりませんでした。

すぐに、私のそばにそう君を連れて来てもらえたので、お顔を1分ほど見ることができました。

少しチアノーゼはあったけど、元気に泣いてるそう君に

「ありがとう」

と伝えました。

顔を見て、頭はそんなに大きくないなと安心したのを覚えています。

顔を見るまで、私に育てるなんて無理だと手術が始まっても思っていた私。

そんな私が一番最初にそう君にかけた言葉は「ありがとう」でした。

我が子に会えた瞬間は今も忘れられません。

 

次は、3.出産後〜NICU

 

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この記事を書いた人

◌特別支援学校に通う一人息子そう君13歳
◌重症心身障がい児▸ 自閉症・全盲・ウエスト症候群
◌築10年目のバリアフリー住宅でのくらし𖤘
◌そう君ママ▸障がい児(者)ご家族のためのサークル「ケアマミ」代表
      ▸サポートブックストアkinari(きなり)店主
◌YouTube『重心っコのくらし』チャンネル(そう君パパ運営)

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